=特集=
世界での挑戦を続ける「西陣織」
西陣織とは、京都・西陣(京都市北西部)でつくられている絹織物。その歴史は古く、平安時代より続く豪華絢爛な織物として、天皇家や将軍家、貴族など権力者たちが最高級の美をオーダーメイドするという格式高いブランドとして時代とともに価値を高めてきました。 近年、西陣織を広めるためにさらに世界へと挑み続けているのが、元禄元年(一六八 八年)に京都西陣にて織物業を創業した「細尾」です。今までの西陣織の固定概念を打ち破るべく、十二代目の細尾真孝氏は技術や意識などの改革を重ね、新しい販路を求めて積極的に海外へ進出したのです。金箔や銀箔を織り込む技術の高さから〈クリスチャン・ディオール〉の壁紙などに採用されたのをきっかけに、〈シャネル〉や〈リッツ・カールトン〉などのホテル内装材などにも使われることになりました。今年九月には、細尾真孝氏が初の著書を発刊。その中で、西陣織のことはもちろんですが、美に対しての想いも述べていました。 著書の中でとても印象的な言葉があります。「本物の美に触れること」。本物の美に触れることで、対等に丁寧にものと向き合い、気を遣う部分が生まれ所作が磨かれるとのこと。目ではなく肌で理解し、物に触れられる場所に行くことで、美意識を鍛えられることができます。本物という言葉は、着物にも通じます。本物の着物を見続け触れることで、良いものというのが分かるようになります。触感も育てることができるのです。 日本の文化は贅沢です。本物が残っており、来世までつながっています。そして、本当に良いものは国境を越えるということを、「細尾」は証明してくれました。細尾真孝氏は、最後に「西陣の着物で世界を変えたい、着物という商品を提供できる立場の私は常に幸福」との言葉で本を締めています。山正山﨑でも、縁のあった人たちには着物の良さを伝えていきながら、本物の美を目で、肌で、体感して欲しいと願っています。
▲昨年秋、HOSOO FLAG STOREにて開催されたギャラリー展にて
▲一つひとつに風情を感じられる日本のモノづくり(写真提供:株式会社細尾)
▲西陣織の特徴のひとつでもある織り機。昔は西陣の地域全体で織り機の音が鳴り響いていた
▲さまざまなテキスタイルを生み出し続けている西陣織。これからも世界へと挑戦と続けていく(写真提供:株式会社細尾)
日本の美意識で世界初に挑む
著者:株式会社細尾 代表取締役社長 細尾 真孝
大島紬〈おおしまつむぎ〉
(写真提供:株式会社細尾)
誰もが憧れる、美しき大島紬 後世に繋げるためへの役割とは
フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯と並び、世界三代織物に数えられている奄美大島発祥の「大島紬」。大島紬の歴史はとても古く、奈良時代の東大寺正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」と記されており、日本の伝統工芸品のひとつにもなっています。 大島紬は、泥染最大の魅力でもあり醍醐味なのが「絣(かすり)」の技術です。他の産地よりも細かく精密な絣で、それらを完成するためにはさまざまな工程を行うことが必要になります。絣の色をつける職人、泥染をする職人など、何人もの職人がバトンリレーを行い一年ほどかけて大島紬がつくられるのです。 しかし、ここへきて職人の高齢化に伴い、奄美大島には八名ほどに減ってしまいました。このままでは大島紬は無くなってしまうと考え、次世代へ繋ぐために取り組んだことが別の産地でつくられている「西陣絣」を加えることでした。西陣絣は、懐かしい文様、銘仙柄、色が可愛らしく爽やかな色合いを特徴としています。大島紬の軽さや水に強いという特性を残したまま、西陣絣をうまく取り入れることで新しい「大島紬」を知っていただきたいです。 また帯に関しても、奄美大島に自生している「ダチュラ」(エンジェルトランペット)の花を柄にしてステンドグラス風にデザインしたりと、伝統的な柄を今らしいデザインに変え、今の時代に合わせた大島紬を提案しています。きっと着物好きの方々は「昔ながらの古典的な大島紬のイメージとは違いモダンで雰囲気が良い」と言っていただけると思います。古くから愛され続けている大島紬をいかしながらも、これから先の未来に向けて大島紬を繋ぎ続けることが私たちにとって大事なことなのです。
取材協力
株式会社 枡儀
「古都の雅を現代の装いへ」を軸に、京都で1713年(正徳3年)に創業。平成18年には大島紬商社として、製造から卸までをトータルで提案。
=エッセイ=
私が 着物を着る理由
着物業界のそっち側ではなく、 本音を綴るエッセイ。 なぜ私がきものを着るのか。
私の愛読している着物マガジン「七緒」に、〈現代人は身体にいいモノに目がない!心身が整う着付け〉なんていう記事を目にしました。最近では、私も着物活動と称してコラムを執筆してみたり、ラジオでも着物トークをしてみたりと発信する側に立っているせいか、着物を着てもらうにはどんな風に伝えたらよいかとそんな思考になりがちです。それにしても、身体に良いという表現、なるほどと唸ってしまいました。私が着物を着る理由は、身体に良いとか、賢くみられるとか、礼儀やマナーだからとか、そんなに小難しいことではなく、純粋に自分が着物大好きだから。着物で自分のいいところを見つけたり、好きなところへ出かけたときには、妙な幸福感に浸っちゃったりと美しさに気がつく瞬間が沢山あります。きっとこの感覚は、着物好きの皆様と同じ感覚なのかなと思います。 着物は、自分の美しさに出会い、そこから広がる可能性を楽しむことができます。先人の叡智や美意識の結晶ともいえる着物。いにしえから日本人は自然と調和し、四季を愛で、見事なまでに衣食住の中に取り込み、日常の中に美を見出してきました。その類稀なる感性は今を豊かに生きるヒントに溢れているように思います。着物を着てみるって難しいことではありません。自分のコトをもっと好きに、もっと知ってみたい。なんて思うなら、ぜひ着てみましょう。あっ、結局そっち側になってしまいましたね。
▲白大島に更紗がアクセントのお気に入りの着物。あえての宝尽くしの袋帯を合わせました。
▲結城紬の十字絣(かすり)。帯は、祖母の着物だったものを帯に仕立て変えた思い出のものです。
▲久米島紬の着物。絣の元祖として知られています。草木染めの独特な風合いが気に入っています。
▲琉球紅型染の「城間栄順」氏の名古屋帯。千鳥がとても可愛らしいです。
40代になり着物もモデルチェンジ。以前狙っていたシック系紬の着物をあつらえました。お披露目待ちの一着です。今後皆様にお見せできること楽しみにしております。
スタッフ 大山 沙織
=やまやまプレミアム=
古き良き伝統の大島紬と インドネシアのイカット帯 美しさ際立つ個性あふれる コーディネートにうっとり
阿久根 利江 さん
祖母の代から山正山﨑さんにお世話になっており、幼い頃から着物が身近にあり、私の成人式の着物も仕立ててもらいました。数ある着物の中でも好きなコーディネートが、今回の大島紬×イカット柄の帯の組み合わせ。オールドスタイルのデザインが魅力の大島紬の柄は、大島の従来のイメージとは違い椿の柄がポイント。色の濃淡も素敵で手間ひまかけてつくられたストーリーも肌で感じることができます。八掛はグリーン色を差し色にすることで全体を締めるようにしました。帯もお気に入りのイカットの生地を使ったもの。イカットとは、インドネシアの伝統的な絣で、オリエンタルな雰囲気に惹かれました。日本の伝統とインドネシアの伝統を組み合わせたスタイルは、一見合わなそうなイメージですがこうやって合わせると相性抜群。大島紬でも遊び心を加えながらカジュアルにも着ることができます!これからも、祖母や母の着物もたくさんあるので、コーディネートを楽しみながらお友達と歌舞伎など着物でお出かけしたいなと思っています。
日本三大古窯のひとつ「渥美古窯」
山正山﨑が運営する裏山文庫は、着物、骨董、茶、花など日本の美を楽しむ空間です。二〇二〇年十一月のお能イベントを皮切りに少しずつ活動をスタートしました。着物を含む、より専門的な美術工芸品の展示や伝統芸能などをご紹介しつつ、地元の方たちに少しでも日本美術の楽しさを共に味わっていきたいと考えています。今回は、この裏山文庫で楽しめる日本美術などをご紹介します。
裏山文庫では日本の美を楽しむ空間でもありますが、蒐集や研究もひとつの創作活動であると考えているため、一部の好事家の間では少々有名になりつつある、地元の渥美古窯(あつみこよう)の研究があります。
渥美古窯とは、平安時代から鎌倉時代にかけて、豊橋市の南部から田原市一帯に掛けて焼かれた焼き物です。主に宗教法具が中心で、当時の貴族によるオーダーメイドの高級陶器とも言えます。(ちなみに、今回の季刊誌やまやまで紹介している京都の西陣織も、天皇家や貴族などからのオーダーメイドで生まれた特別な織物です。)さて、この渥美古窯は鎌倉時代ですでに廃窯しているので、現在の瀬戸のように産業としては成り立ってはいません。そのためか地元の方ほど認知が少ないので、この機会に少しだけご紹介したいと思います。 みなさま、国宝に指定されている焼物は何点あるかご存知でしょうか。実は、現時点では十四点存在しているようです。国宝というからには当然日本で焼かれたものと思いきや、実は中国や朝鮮で焼かれた外国の焼物が九点。日本で焼かれた焼物はわずか五点のみ。桃山時代から江戸時代の焼物が中心ですが、中世の焼物としては唯一、地元の渥美古窯の壺が国宝に指定されているのです。渥美古窯の中で、有名な「秋草文壺」という日本の情緒がそのまま映し出されたような、美しい壺があります。その存在だけでも地元の方たちに是非知って頂ければ嬉しく思います。東京国立博物館へ行けば常設で見られる事が出来るので是非。ちなみに写真の壺は渥美古窯の大壺で肩に「大」の字が彫られています。おそらく何かの記号で、漢字の大を意識していないのかも知れませんが、私の名前と子どもの名前の一字なので気に入っています。
裏山文庫の名前の由来は、山正山﨑の裏にあることから名付けました。文庫というので書庫と思われていますがそうではなく、我々呉服商の「文庫」というと大事な物を包むものという意味もあります。
通常営業、公開はしておりません。イベントの際などはSNS等で告知いたします。
山正山﨑代表取締役 山﨑 嘉大
=連載= 古物に遊ぶ ①
愛の深さを 測ってみれば
昨冬、山正山﨑の旦那から「展示会をひらかないか」とお誘いいただいた。尋ねれば、御舖の隣地に屋舎をしつらえ、裏山文庫と名付け、数寄に専心するという。彼「つきましては」。全国を旅しながら古書・古物の展示会を催す私の仕事に、するどく着眼されたわけである。そこで昨夏、「憑在するかたちのきおく」と銘打って、書物や古美術品、いろいろな姿容おもしろき品を集め、展観したところ、炎天下にもかかわらず賓客の多くを得た。有難いことである(ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました)。 有難いが立てつづき、今回はじまる当連載が、誌上で佚楽の様相を呈しますよう。 さて、本日ご紹介するのは、江戸後期に加賀金沢に生きた女性詩人、横山蘭蝶の漢詩集『断香集』である。過日、この稀覯に類する一本を幸運にも入手し、読み進めるにつれ、感じるところがあった。 蘭蝶の生名は津田桂、加賀藩の大身横山政孝に嫁ぎ、夫に漢詩をまなび、すぐれた詩才をみせるも、文化十二年(一八一五)、わずか二十一歳で夭逝する。佳人薄命。見返しに「文政丙戌雕 絳雪吟窩藏」とあり、文政九年(一八二六)に夫政孝によって私家版として開版された一册であることを伝えている。蘭蝶逝去から十一年後のことである。失われた妻蘭蝶を想いながら、その遺稿の整理を続ける夫政孝に、どのような歳月が流れただろうか。 巻中、清新な句がならぶが、「弄花香満衣」と題された七言絶句を。 春半桜花色最竒 手親折得両三枝 幽香満袖帰来處 蛺蝶追人故故随 春なかば、咲き誇る桜の枝を手折る。すると着物の袖口に花の香りが満ちあふれ、蝶がどこまでもつきしたがってくる。そんな意である。 蘭蝶の袖口から幽玄に香る桜花。才媛のあとを追い続けたのは句中の蝶だけではなかった。かつて深く愛し、おそらく今さらに深く愛している亡き蘭蝶への、その愛の深さを測ってみれば。『断香集』、香り断ちがたき愛の詩集がここに結実する。
(写真提供:早崎主機)
PROFILE
1980年生。早大仏文科卒。古物商。文筆家。国内外の古書・古物を扱うギャラリー「かたちのきおく」主宰。
antique dealer
早崎 主機(はやさき しゅき)