愛知県豊橋市で振袖や学生服・学校用品、着物、七五三衣装を取り扱う(株)山正山﨑「お知らせ」ページです。

お知らせCOLUMN

2022.12.27
季刊誌やまやま

やまやま【vol.18 2022.12 winter 冬号】

 

=特集=
日本文化を守り続ける、公家「山科家」

▲公家小袖の飾り

▲25代山科言縄卿の装束姿

日本において朝廷に仕え、天皇に近侍する公家(くげ)。その歴史は深く、古い家は平安時代後期頃から鎌倉時代にかけて成立し、それぞれの家ごとの文化的役割である家職が徐々に形成されていきました。山科家は宮廷装束の調達、着装をする「衣紋道(えもんどう)」を伝承。「衣紋道」とは装束を着装することについて古くから伝えられてきた技術や考え方のこと。藤原実教(1150-1127)が当家初代として始まり、現在30代目。明治以降も京都に残った数少ない公家のひとつで、有識故実をもって歴代の天皇の側近として仕えています。令和元年には、今上陛下の御即位の礼において、天皇陛下の御装束の衣紋をご奉仕しました。

「日本文化の根源を辿ると、天皇や公家が育んできた都の文化が核としてあり、茶の湯や能、節句をはじめとする年中行事など、長い歴史の中で様々な文化やものづくりに影響を与えていきました。日本では家元制のように、過去から現代に至るまで連綿と家単位で文化的な役割を継承し続ける場合が多く、世界ではあまり類を見ない興味深い仕組みだと思います。普段はあまり意識されることのない、日本文化と公家の関わりを知ってもらうことが私たちの使命だと考えています。」と話してくれました。

今年12月には、裏山文庫にて山科言親氏を招き、「公家雅の系譜-年末年始の室礼」と題して、貴重な資料を展示致します。物語性のある室礼を通じて、公家の文化的な背景や世界観に触れて頂きます。またそれに合わせて、装束の織物や色使いに基づいて制作した帯、公家の普段着に着想を得た着物などをご紹介致します。衣食住の衣は、人間にしかないもの。日本の文化をこれからも再考しながら、これからも後世に伝え続けていく大切さを学びました。

▲装束の織と色目

▲衣紋の様子

▲葵祭の行列

PROFIRE
1995年 京都市生まれ。衣紋道山科流若宗家。代々宮廷装束の調進・着装を伝承する山科家の30代後嗣。各地で公家文化を伝える講演会や展示会を開催し、メディアへの出演や歴史番組の衣装考証など幅広い活動を行う。
山科 言親(やましな ときちか)

有職文様
〈ゆうぞくもんよう〉

(写真提供:株式会社細尾)
平安時代から続く、雅で格調高い日本の文様の基調「有職文様」
平安時代以来、公家の装束や調度品の装飾や建築などに用いられている優美ね様式をもつ文様。その美しい文様は平安貴族の衣装でもある、装束、十二単などにも用いられています。奈良時代から平安初期に、隋や唐から伝わった文様が原型と言われており、宮廷内の社会的な意味合いの文様として確立しました。亀の甲羅のような六角形の連続模様の「亀甲」や、蔓草のような曲線や渦巻を組み合わせた「唐草」など、主な文様として広く知られています。現代においても、伝統工芸品や着物や振袖の柄などにも有職文様が用いられており、皇室や神社などの装束の柄はすべて有職文様です。

日本独特の文様をなぜ「有職文様」と言われているのか。それは、過去の実例に関する知識を有したり研究する「有職故実」と関わりがあるからなのです。日本文化では先例を重んじるという伝統主義な価値観を重視しています。特に公家社会においては、宮中祭祀や式典を行う場合は、順序や着用する装束など、細かな決まり事があり、どれも古くから先例に従っていました。優美で格調高い文様は、有職故実の構成要素の一つでもあることから「有職文様」と言われるようになったのです。

=エッセイ=
私が 着物を着る理由
着物業界のそっち側ではなく、 本音を綴るエッセイ。 なぜ私がきものを着るのか。

母や祖母の箪笥の中の着物からスタートした私の着物生活ですが、今でも祖母の着物から作った帯を締めたりすることで祖母との思い出が蘇ります。
そして今のわたしの箪笥の中には自分の好きな色柄、あこがれの産地の着物や帯などを手に入れ一年中、四季に合わせた生活を愉しむようになりました。コーディネートやスタイリングを整えたらその着心地に身を委ねる。そして忘れてはいけないもう一つのこと。
この仕事に就いたおかげで京都のみならず、全国にあるさまざまな産地や活躍する多くの作家さんの工房を訪れる機会に恵まれています。わたしのような何でも知りたい着物好きにはたまらない垂涎の体験ばかりの数々。
奄美大島では泥田に入り糸を染め、加賀友禅の鶴見先生の工房では今は亡き保次先生と普二先生のお二方から受けた糸目の手ほどきは大変貴重な時間ばかりです。実際に使われている道具を手にしてみると感じることや物作りのお話では知識も深まりますし、先生の人柄に触れてしまえばもうすっかり虜に。こだわりや感性などその場で感じたこと全てが魅力となり縁があって自分のものとなった着物や帯と私のあいだには”人”が存在が欠かせない要素となりました。
素材感や優れたデザインだけではない着物や帯に宿る魅力を自分の経験を交えお伝えすることが私の役目になればと日々の着物生活で感じています。

▲紅型の色差しの様子を見学。沖縄のもの作りは見どころ満載でお楽しみがいっぱい

▲現地研修は海外へも進出!文化は海を渡り世界と繋がっています。インドネシアのイカット(絣織)を見学

▲口癖は”嬉しい嬉しい”。大好きな一色先生と一緒に

▲職人さんの使う年季のこもった道具は思わずカメラを向けたくなります。松井青々さんの工房にて。

私の再開した着物中心の インスタアカウント
@kimono_saori_ooyama
職人さんとの交流や日々の着物コーデなどを紹介します。ぜひフォローしてくださいね。
スタッフ 大山 沙織

=やまやまプレミアム=
大切な節目で活躍する格式高い「色留袖」は女性にとって憧れの一着
小島 有子 さん

母がとても着物が好きで、その影響で自宅にはさまざまな着物があります。この色留袖は、親族の結婚式に参列した際に着用したもの。山正山﨑さんで私に合う色を選んでいただき、優しい色合いと裾に美しい模様があるのが魅力です。黒留袖に次ぐ格式の高い着物、色んなシーンで利用することができる着物です。色留袖が一着あれば、長く着続けられるという点もお気に入りです。五歳と一歳の男の子の二児の母なので、子供たちの卒園式や入学式の際には、この色留袖を着て参列したいなと思っています。その際は、自分で着付けができるようになりたいです。

骨董を愉しむ

季刊誌やまやまは以前は年に4回春夏秋冬で発行しておりましたが、やはり量より質だと言う事で取り上げる内容を変えてから今回で3回目の発行。何よりも無理せず続けることが大切です。途中で面倒臭くならないように私は気楽な文章でいこうと思う。
さて、裏山文庫の活動も丸2年を迎えました。いつもいつも様々な方にご協力頂き本当に感謝です。やはりいつも思うのは価値観、好きな事が合う方たちとの関わりほど楽しいことはないなと。いっっ所に取り組んで頂いている方々も古い物が好きだったり、古い物と密接に関わることをされていたりする。私自身が古美術好きと言うこともありそう言う方を選んでいるのかも知れませんが、これは結構大切なことかも。そして何よりも来場されるお客様もとても感度の良い素晴らしい方達ばかりでいつも驚かされます。裏山文庫の極小キャパシティでは誰でもいいからとにかく人がいっぱい集まれば良いと言う訳にもいかず、かと言って少な過ぎる訳にもいかず。いつも悩ましいところですが不思議と程よい人数、とても良いご来場者様に恵まれています。
丁度このやまやま冬号が刷り上がる頃には地元豊橋市の陶芸家、稲吉オサムさんの個展を裏山文庫で終えている頃だと思います。初日のトークイベントでは同じ豊橋市のフランス料理アトワタンの山田康平さんを交え地元の食材を使った料理を提供して頂くことになっています。実力もあり尚且つ面白い人達は地元にも結構いるんだなと、ここ最近つくづく感じます。ただ知らないだけでした。稲吉オサムさんと他愛も無い話をしている時にあれしよう、これしようと話はスラスラとまとまりました。かしこまった窮屈な会議は苦手で、授業のような感じは昔からアレルギー反応を起こし委縮してしまう。この季刊誌やまやまを作る時も会議など無く、大体立ち話程度で大枠が決まりました。今回メインで取り上げている衣紋道の山科言親さんとの企画展も間に入って下さったH会長と話をしていて、やってみましょう、そうしましょう。と3秒ぐらいでまとまった。こう言うリズムでやれる仕事はだいたい楽しい。

裏山文庫おすすめイベント

「公家雅の系譜-年末年始の室礼-」
2022年12月16日(金)〜19日(月)まで開催
◆ 裏山文庫にて
「特別展 平安のやきもの-その姿、うつろいゆく」
2023年1月15日(日)まで開催
◆愛知健陶磁
※詳しくは公式サイト、お電話にてお問い合わせ下さい
☎ 0561-84-7474
裏山文庫の名前の由来は、山正山﨑の裏にあることから名付けました。文庫というので書庫と思われていますがそうではなく、我々呉服商の「文庫」というと大事な物を包むものという意味もあります。
※通常営業、公開はしておりません。イベントの際などはSNS等で告知いたします。

=連載= 古物に遊ぶ ③
一つの発見

林田重正の名を知る人は多くない。大正7年長崎県生、美術工芸学院で鳥海青児らに学び、平成初期まで着実な制作を続けた洋画家である。ありふれた風景を描くところ、その静謐な筆致において右に出るものはない、といったふう。知る人ぞ知る玄人好みの画家である。
哲学者であり、根っからの美術好きとして知られた谷川徹三(そう、詩人谷川俊太郎の父である)は、林田をひときわ高く評価し、その作品との邂逅を次のように回想している。
「銀座裏のさる画廊へ偶然入って見たら、私のそれまで名も知らなかったこの人の展覧会をやっており、その中にこの画があった。一見この画が気に入り、直ぐに買った。私には一つの発見であった」(『黄塵居清賞』所収)
今回ご紹介する絵は、谷川徹三がそのとき出会った絵ではない。「あかい山」という、昭和60年に文藝春秋画廊で発表された一作である。絵はどこをどう旅して来たのか、私はある日「あかい山」と出会った。出会いはたしかに「一つの発見」であった、先賢谷川徹三とおなじように。
この絵には赤色の画具は使われていない。緑、青、黄、紫がごくうっすらキャンバスに重ねられている。しかし絵の印象はたしかに「あかい」のである。「あかさ」とは色彩のことだろうか。否。それは絵の生命のことではないだろうか。
この絵のなかには、かたちがある。そのかたちは動いている。その動きは、高みを目指そうとする画家の意思をそのまま映すものである。私はこの絵を見る。と、視線はいつしか画家の対象への眼差しに変容する。そこに、絵に生命を吹き込もうとする画家の姿が立ち現れる。同時に、鑑賞という行為によって、絵に生命を吹き込もうとしている自分自身を見出す。吹き込まれようとしている声明はじつに画家の生命であり、鑑賞する者の生命であり、描かれてある山の生命であり、これら諸要素をむすぶ時間・空間の生命なのである。
その生命があかく輝いていることを、私は発見する。

▲林田重正 油彩画「あかい山」(M4)

PROFILE
1980年生。早大仏文科卒。古物商。文筆家。国内外の古書・古物を扱うギャラリー「かたちのきおく」主宰。
antique dealer
早崎 主機(はやさき しゅき)